アルゴの中学受験日記

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国語力をつくる

通訳者が席を立つ文章

通訳者が席を立つ文章

話し言葉と書き言葉の違いについて、きちんと意識したことはありますか?

どちらも同じ日本語なのだから、そんなに変わらないだろうと思うかもしれません。

では、少し意識して家族や友人同士の会話を聞いてみてください。

その言葉を、そのまま文字にしたらどうでしょう。

たとえば、話し言葉で最近よく使われる「うざい」などは、文章にするときには別の表現にしたいものです。

ロシア語通訳者であり作家の故米原万里さんの著作『不実な美女か貞淑な醜女か』に、通訳と翻訳の違いについて述べた興味深い話があります。

通訳も翻訳も、ある言語を別の言語に置き換えるという意味では同じ作業ですが、通訳のほうは圧倒的に短い時間で行なわなくてはなりません。

では、通訳は翻訳よりもはるかに困難な仕事なのでしょうか。

実は、時間的制約の厳しい通訳という仕事を助けてくれるものが、話し言葉の冗語性の高さ(余分な言葉の多さ)だそうです。

「えーっと、そのですねえ。要するに私の言いたいことは、そうですね。うん、まぁ先ほども述べましたように……。」このような言葉は、いくら早口で話されても、通訳者は大して困ることはありません。

情報の密度が非常に薄いからです。

また話し言葉の、同じ内容をしつこく繰り返しながら進んでいくという特徴もまた、通訳者に大いに味方してくれます。

ところが、国際機関の会議などでは、発言者が文章を読み上げることがあります。

あらかじめ通訳者に文章を配っておけば問題はないのですが、そうでない場合に、発言者が猛スピードで読み上げたりすると、通訳者たちはいっせいに席を蹴って出て行くそうです(笑)。

良い文章と言われるものは、一般に冗語性が低く情報密度が濃いものです。

余分な言葉を一切取り除き、情報が濃密に凝縮された「優れた文章」を、発言者がすさまじいスピードで棒読みしたりすると、通訳者はお手上げというわけです。

みなさんは、だれかに話す言葉をそのまま書いたりはしないでしょう。

最初に頭に浮かんでくるのは、話し言葉に近いものかもしれませんが、それを文章にする際、書き言葉に変換する作業を多少なりとも行なっているはずです。

しかし、ただそれだけでは、なかなか密度の濃い「優れた文章」を書くことは難しいのです。

では、「優れた文章」を目指すには、どうしたらよいのでしょうか。


文章をまとめるときは、何をどんな順序で書いていくかを考えることが大事です。

たいていは四段落構成になると思いますが、その時役立つのが、どの段落にどんな話を書いていくのかを明示した構成メモです。

これがあるだけで、話し言葉のような無駄な繰り返しが減り、密度の濃い文章に少し近づきます。

これを使って書き、清書の際には推敲してみます。

余分な言葉を省いたり、繰り返し出てくる言葉を別の言葉に言い換えたりしながら、さらに文章の密度を上げます。

「この文章を早口で読み上げたら、通訳者が怒って席を立つだろうな。」という文章を目指します。

実はここに国語の力の有無が大きく働いています。

そういう意味でも、国語力の開発は人間力強化の第一ステップかもしれません。

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