「私は何をやってもダメ。」自分に自信が持てない人は、よくこう言います。
周りの人はそれを聞くと、「大丈夫だよ。私の方が全然ダメだし。」と言って、相手を励まそうとします。
果たして、この会話に何か意味があるのでしょうか。
そんなことをぼやいていても、ただ人が自分から離れていくだけではと考えます。
偏った思い込みがさらに激しくなっていくのでは…。
私は、どんな些細なことでも劣等感を抱かず、自分に自信を持つことは本当に大切なことだと思います。
自分に自信を持っていれば他人より劣っているとは決して思わないでしょう。
現在の日本の人口は、約一億三千万人。
そのうちなんらかの身体障害を抱えている方が三百五十一万六千人。
身体に不自由なところのある方は、確かに比べればどこかハンデを負うところはあるでしょう。
しかし、障害を抱えていても自分に「自信」持っていれば、劣等感など感じないというお話をよく聞きます。
五体不満足の乙武さんなんか良い例でしょう。
また、劣等感を持っていると周囲からおのずと関心を持たれる機会が少なっていきます。
劣等感から臆病になり毎日びくびくしながら過ごしている人と、自信を持ち何も恐れずにがむしゃらに毎日を過ごしている人では、私たちはどちらに惹かれるでしょう。
答えは明々白々。
おそらく、毎日を前向きに過ごしている人と関わりたいと思うはずです。
なぜなら、そういう人の周りにいると、自分に自信がなくなった時その人の姿を見て、「私もこんなんじゃダメだ・・・。あの人のようにがんばらないと!」と励ましを受けることがままあるからです。
しかし、傍の人が劣等感を抱いていたら、勇気づけられるどころか、自分の思考がさらにマイナスの方向へと向かってしまうことを恐れるであろう。
つまり、周囲の雰囲気を良くするためにも、自分自身に劣等感を持つことは良くないことであり、消極的な言葉やため息は極力慎むべきものなのです。
確かに、「分を知る」「分をわきまえる」という言葉あるように、謙虚だということは大切であり、慎ましやかに生きることを否定しようとは思いません。
しかし、「他人から尊重されるためには、まず自分が自分に尊重できなければならない。」という言葉があるように、自分に「自信」がなければ、他人から支持を受けることはありません。
今、世上をにぎわす、自己表現を明確に行えることを評価基準としたあらゆる選抜の局面に立ち向かうことなどできません。
このことは、一時期熱狂的な人気を誇ったTED Conferenceを見るまでもないでしょう。
私は今、中学入試を通じて子供たち一人ひとりの自信の育成に取り組んでいる。
しかし、それは合否の結果によってもたらされるものではなく、そこに至る過程をいかに充実して過ごしたかに関わってきます。
では、具体的にはどのようにして自信を育てていけば良いのでしょう。
その一例を上げれば、子どもたちになにか伝えて、「わかったと?」と聞きます。
子どもたちはたいてい「うん」と言います。
しかし、顔を見るとどうもわかっていないようです。
そこで「じゅあ説明してよ」と言います。
するとできません。
説明を一方的に聞かせるだけでなく、聞いた内容を自分の言葉で改めて説明してもらいます。
この双方向のやり取りは、子どもたちの理解度を高める大切なプロセスであり、自信の醸成に寄与していきます。
言語化することで思考は明確化されていきます。
思考力、表現力を高めるためにも自分の言葉で伝える努力はとても有効なことであり、揺るぎない自信の源となっていきます。
自信に満ちている人ほど心が強いことを私たちは知っています。
逆説的に言えば、心を強くするには自信を持つことが大切だといえるでしょう。
その自信が過信という落とし穴におちいらないように、日々の過程を大切に支えたいと思います。
中学受験を考える学習塾『アルゴ・システムズ』
代表 村元 謙二(文責)
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