作文というものは、きわめてメンタルな学習です。心理的なブレーキがはたらき書き出せないという子をよく見かけます。 そんな子どもたちの大部分は、せっかく自分がいいと思って書いた作文を批評されて傷ついた経験があります。
小学校低中学年の子には、長く書くことがいいことだと思っている子がいるので、先生に褒めてもらうために無理をして長く書くことがあります。
ところが、先生がそういう子の心理を知らずに、いい批評をしてあげるのつもりで、「長く書くよりも中心を決めて書くことが大事なのよ」などとアドバイスをすると、それから作文が書けなくなります。そういうチグハグなことが原因となり、実際、作文嫌いになる子がかなりいるのです。
次に多いパターンが、書く意欲がないときにムリに書かせようとすることです。 ある意味、作文は書き手の感情の発露ですから、学校で作文を書いて、同じ日に塾でもとなると書く意欲はわきません。 中には、ときどき、中高一貫校への対策として、休んだ分を取り戻すために一日に二つの作文を書かせようとするお母さんがいらっしゃいます。自分で書いてみるとわかりますが、書く当人にとっては、それは苦痛以外何ものでもありません。
作文練習では、本人が「今日は二つ書きます」と言ってきても、「一つでいいよ」と言ってあげる余裕が次の書く意欲へと繋がります。本人の最初の気持ちとしては二つ書くつもりでも、一つ書いたあとは書く意欲が半減しているのが普通です。
これに似ているのが、叱りながら書かせることです。その題名が「楽しかった思い出」などという場合、子供の心は分裂します。叱られて泣きながら「楽しかった思い出」など書けるはずがありません。ここが、英語や数学の勉強と作文の練習が違うところです。
書く前にたくさん喋ると書けなくなるということもよくあることです。書く意欲というものは、一種の内的圧力がはたらかないと出てきません。子供の書く内容を引き出そうとしていろいろなことを聞きすぎると、かえって子供は喋って伝えたことに満足して、作文として表出する動機が希薄になります。内容を引き出すのもほどほどにということでしょう。
突き詰めると、如何に子どもたちの心理的負担を軽減し、まず、書いてもらうかということです。「書かせる」のではなく「書いてもらう」、この受けとめる側の姿勢にこそ、子どもたちを作文好きにしていく第一歩があるます。