保護者の方からこんな相談を受けました。
「作文を書くとき、娘に『たとえ』を入れるように言うと、子供っぽいと思っているらしく、嫌だと言います。」
確かに、目に見えたものを他の何かに『たとえ』てみるというのは、小さな子がよく使う表現ですから、そう感じるかもしれません。
「あの雲、綿菓子みたい。」こういう説明はかわいらしくはあるのですが、小学生低学年に見られる表現でもあります。
『たとえ=比喩』の目的は、自分が見たもの・感じたものを他の人にもわかるように、イメージが重なるものを使って説明すること。
小学生(特に低学年)の場合、目に見える具体的なものを他の具体的なものに置き換えるため、子供っぽいという印象になるのでしょう。
学年が上がってくると、『たとえ』の対象が目に見える具体的なものから、抽象的なものになってきます。
①A(低学年)…「そのとき、友達の○○ちゃんは、まるで□□みたいだった。」
②B(高学年)…「友とは、△△のような存在だ。」
『たとえ』という表現方法は同じでも、BはAより考えが深まっています。
また、さらにBに「人間にとって」という一節を入れると、『大きなまとめ→一般化の主題』へと進化ます。
③…「人間にとって、○○とは□□だ。」
この文が作文に入ると、読み手は「ほぅ。」と思います。
それは、そこに書き手の主張がはっきりと示されるからです。
この『一般化の主題』を書けるようになることが低学年の『たとえ』の練習にあると考えてください。
④…「○○とは~ではなく△△だ。(なぜならば……)」
これは、高校生向けの「表現」のパターン・『名言作成』というもので、上記の形を基本とします。
『名言』の作成でもあり、自分の表現による『定義付け』の練習ととらえることもできます。
この表現ができるようになっていくのも、多くの『たとえ』の練習を積み重ねるからです。
作文の練習が進んでくると、イメージが重なるものを用いるだけでなく、反対に、意外なものをたとえに使うことで、読者をひきつけたり、独自性を出したりすることもできるようになります。
そういう土台があってこそ、切れ味のいい『名言作成』ができるようになります。
作文は入試などでよく課されます。
この『名言作成』が作文に入っていると、かなり注目度が上がります。
それは、そこに表現力や思考力など、書き手の力量が凝縮されているからです。
まず、どんどん書くこと、全てがそこから始まります。
きっと、子どもたちそれぞれに子どもたちらしい優しいたとえがあるはずです。