「あなたは鈍感(どんかん)な人だねえ…。」だれかにこう言われたら、どう思いますか?
「なんて失礼なことを言うんだ」と怒る人もいるでしょう。
「うう。その通りだけど、そんなふうに言わなくてもいいじゃないか・・・」と落ち込む場合もあるでしょう。
誰だって、いやな気分になることはまちがいありません。
ところが、考え方を変えると、こうなります。
AさんとBさんのうでに蚊(か)がとまりました。Aさんはすぐに気づき、パシンとはたきましたが、かゆくてかいているとだんだん赤くはれてきて、よけいにかゆみがひどくなってしまいました。
一方Bさんはというと、蚊を追い払いはしましたがその後はたいしてかゆくもなさそうです。
さて、この二人のうち、肌(はだ)が鈍感なのはどちらでしょう。もちろんBさんですね。
つまり、Bさんは肌が鈍感だったために、かゆくてつらい思いをしないですんだのです。鈍感というのも意外と悪いことばかりではなさそうだ、ということになります。
これは、『鈍感力』(渡辺淳一 著)にあるお話です。
怒られても怒られても気にせず後に成功した人と、ちょっと怒られただけでくよくよと気にして前に進めない人。
一度の失敗でもうだめだと落ち込む人と、まあ何とかなるさ自分は大丈夫と考えてあまり気にしない人。
この本を読むと、鈍感なことも悪くない、いや鈍感な方がずっといいという気になってきます。
友人にかなり鈍感だと思われる男がいます。
いつも家族からは「ほんとににぶいんだから・・・」と言われています。
その上にのろまと言われ、親御さんはさぞ小さいとき心配だっただろう、と推察できます。
ところが、彼自身は、そんなに気にしてもいませんでした(ね、鈍感でしょう?)。
それが自分自身の短所なのかなあ…とは感じていたようですが、この本を読んで、「自分はこれでよかったんだ!」とうれしくなったそうです。
小学校の時、クラスでからかわれ、それでも帰ってから「今日はこんなこと言われちゃったよ!」と楽しそうに親に報告していたということも、大人になってから複雑な人間関係の中で、あまりあくせくせず過ごしていけたのも、みんな「鈍感力」のおかげだった、と気づいたとのことです。
もちろん、人の気持ちがわからない「鈍感」はよくないし、芸術家などは「鈍感」ではやっていけないでしょう。
しかし、本当に後を絶たないいじめによる自殺などの事件を見ると、もっと彼らが「鈍感」であったなら、そして周りの大人たちがもっと「敏感」であったならと、悔やまれてなりません。
敏感でなければならない人ほど鈍感で、鈍感であればと願う人が感受性が強い。
世の中うまくいきません。
そんなことを考えると、私自身も友人を見習って自分自身を強くする「鈍感力」を大切にし、その良さを子供たちにどう伝えていこうかと考えます。
もしかしたら、『鈍感力』は殺伐としたこの時代を力強く生き抜く唯一の必殺技かもしれません。
胸を張って「そうよ、私は鈍感よ!」といえる時代は、案外、みんなが暮らし易い時代かもしれません。