コロナ禍の現在、皮肉にも世界は一つなのだと認識させられました。
この自体が収束すれば、これからますます一つの大きな統一体になっていくでしょう。
これからの国際化は、日本が世界に合わせることではありません。
国際化とは、日本が世界に出ていくことです。
そのために、日本語を世界に広め、日本の文化と日本の社会制度を、新しい社会のモデルとして世界に提案していくことが必要になってきます。
これまで、言語というものは、伝達の側面からだけ考えられてきました。
伝達の面から言えば、英語は世界中で最も多くの国で通用する言語です。
また、中国語は、世界で最も多い人口を擁している言語です。
しかし、言語の伝達機能は、自動翻訳機の発達によって、どの言語も等しい利用可能性を持ってきます。
いちばん大きな差は、その言語によって表現される語彙が、世界の現在の事象をどれだけカバーしているかということです。
そういう点で、英語、日本語、ドイツ語、フランス語などは、現在の社会、政治、経済、文化をカバーするのに十分な語彙を持っています。
日本語の今持っている語彙力の可能性を維持するためにも、日本人はできるだけ、カタカナによる外来語を使わずに、翻訳された言葉をあてはめていくことが大事です。
言語の役割は、伝達の面から言えば、必要な語彙力さえ伴っていれば、どの言語でも同等です。
今は、習得に時間がかかるという理由によって、最もよく使われている英語が、世界共通語の役割を果たしています。
しかし、言語の役割には、伝達の機能以外に、その人の考え方やものの見方の土台として機能するという面があります。
ちょうど、コンピュータのOSのような役割があるのです。
これを、言語の伝達的側面に対して、言語の教育的側面と考えることができます。
この言語の教育的機能の面や情操性、また、文化・教育的観点から、日本語の持つ力は、他の言語に比べてより持つ意味が大きいのではないかと考えられます。
だから、日本語の国際化は、日本人が望む以上に、世界の人々から、思考のツールとして、それぞれの国の母語とともに日本語を習得することが求められるようになるであろうと思います。
この困難な状況が改善されたとき、いろいろな社会的破綻が発生するでしょう。その破綻の現象面とし
ては、世界貿易の縮小、物価の高騰、企業のリストラ、倒産、失業、金融機関の倒産、更には、預金封鎖、デノミネーションなどが起こるかもしれません。
が、大きな目で見れば、本質的な変化は二つです。一つは、不要なものがなくなること、もう一つは、本当に必要なものが生まれてくることです。
不要なものとは、本来何も価値を生み出していないのに、あたかも価値があるかのように高価格で流通していたもの。
その多くは、広義の規制に支えられた、一種の利権として作られていたような仕事です。
それらの仕事がなくなっていくのと引き換えに、真に社会に貢献する仕事、新しい何かを創造する仕事が登場してきます。
工業製品の分野では、これから発展する途上国の人口のニーズに支えられて生産も引き続き活発でしょう。
しかし、その生産の方法は既に先進国において試されてきたもののコピーにしか過ぎませんから、新興国の提供する工業製品が、未来の経済の中心になるわけではありません。
また、低い人件費によって競争力を持つ工業製品は、いずれロボットという、どんなに低い人件費よりも低い製造コストと維持費しか持たない生産手段に取って代わられていきます。
だから、これからの経済発展は、新興国の工業的な離陸にあるのではありません。
それは、先進国の文化産業の中にそんざいします。
アルゴ・システムズ 代表 村元 謙二(文責) 京都市中京区柳水町71-1-103 TEL.075-221-5101