新しい年を迎えて、当塾の何たるかを考えてみました。
当塾は、あえて語弊を気にせずに言えば、教えない指導により自ら学ぶ力を育てる塾、ということになるでしょう。
例えば、お子さんが算数の問題をやっているとき、わからない問題があると、保護者の方や講師にすぐ聞くことがあります。
「わからない」「教えて」という言葉を聞くと、誰でも教えてあげたくなるのが人情です。
したがって、ほとんどの保護者の方や講師は、その子がよくわかるようにと教えてしまいます。
しかし、その行動で満足しているのは、教えた保護者の方や講師の方であって、教えてもらった子どもたちではありません。
人間は受け身でいるとき、本当の喜びや達成感を感じることはありません。
では、どのように対応したらよいのでしょう。
色々な指導上の工夫が、ここに介在する余地があります。
すぐに「わからない」という子には、「もう一度考えてごらん」と押し戻すことは簡単です。
しかし、それでは問題解決に至らないのが大半です。
問題文を何回か音読させることもあります。
ちゃんと読めているか、文意を曲解していないか、理解しているのか、判断します。
自分なりに考えているけれどもわからないという子には、その問題の解法の過程を記させ、どこからどこにいくところでわからないのかを、説明させます。
問題解法の途上での障害や間違いがはっきりとしてきます。
多くの場合、その子の持っている問題集やプリントのどのあたりに似た例があるかを指摘し、読み直すことを指示することで、自分なりに問題解決していくことがほとんどです。
このよう学習を続けていると、子どもたちは自ら考え自ら学びに取り組むようになります。
いかなる時も、学習の基本は自立的な学習です。
しかし、自立的な学習を身につけてもらうためには、唯闇雲に自分でやれ、自分で考えろ、と言っても、身につくものではありません。
指導する伴走者には忍耐とビジョンを求められます。
いくつかの小さなステップを、確実に登らせていくことが必要となります。
第一のステップは、わからない言葉や新出の情報は極力自分で調べること。
第二は、問題の採点を子どもたち自身にさせることです。
第三のステップは、わからなかった問題の質問や直しを確実に取り組むこと。
第四は、できれば学習が終わった時、その日にやった問題の答えの説明を友達同士で確認したり、前に出て説明してもらうこと。
このような過程を繰り返し踏んでいくことで、学ぶ意識と意欲は格段に成長していきます。
学習における当事者意識の醸成は、学ぶ上で何にも増して第一義的に考えなければなりません。
こんなとき講師の役割は、教えることではなく、子どもたちの理解を確認する役割となっていきます。
この学習法は、算数以外のどの教科の学習にも活かすことができ、一生の財産となります。
従来の教える教育では、講師の教え方が重要でした。
だから、優れた講師が一人いればよかったのです。
しかし、文科省が推奨する生きる力の養成を目的とした教えない教育では、主人公は講師ではなく子どもたち自身です。
それぞれの生徒のそれぞれの理解の仕方を確認してあげることが本当に必要となってきます。
それこそが、まさに当塾の目指す姿だと思い至りました。
今年一年、その確実な実行にしっかりと取り組んでいきたいと思います。