今、音読が静かなブームとなり、いろいろなところで音読学習をするようになりました。
しかし、なぜ音読が役に立つかということはよくわかっていないようです。
そのため、音読の方法についても大きな誤解があります。
保護者の方から聞いたお話によると、「学校の宿題の音読では一言一句間違えないように正確に読む」ということを指示されるということでした。
当塾の音読指導はこれとは正反対です。「読み方がどんなに下手でも、間違っていても、やる気なさそうに読んでも、小さい声で読んでも、一切注意せず、いつも、『読むのが上手になってきたね』と褒める」という方法です。
アドラ心理学からすると大目玉を食いそうですが…。
正確に読むことを要求され、正しく読むように注意されて音読している子は、音読が苦手になります。
多分心理的な圧迫感に苛まれているのでしょう。
だから、音読学習自体を保護者の方の前で行うことを嫌がるようになります。
そして、結局、続かなくなっていきます。
どんなに間違った読み方や下手な読み方をしても、いつも、『読むのが上手になってきたね』と褒められている子は、音読が上手になります。
不思議なことですが、褒めていれば自然に上手になり、注意していればその反対に自然に下手になっていくのです。
なぜ注意がいけないかというと、そこには、音読以前の問題があるからです。
音読の仕方が下手で注意される子は、音読が下手なのではありません。
音読以前の日本語の力が不足しているのです。
その日本語の力は、日本語の生活習慣の中で自然に育ってきたものです。
学習が苦手なのではなく、学習以前の日本語力が不足しているのです。
大人は、つい表面しか見ないので、下手な音読という表面を直せば、中身もすぐ直るように考えがちですが、そうではありません。
表面をいくら直しても、中身は直りません。
だから、一度注意したことを、二度も三度も注意するようになるのです。
ほとんどの場合、二度目か三度目あたりからは、注意ではなく叱責になってくることも多々あります。
子供も、動物も、楽しいことが大好きです。
それが、生命の本来の姿です。
苦しいことに耐えることが好きだという感覚は、もっと大きくなり、何かに挑戦するようになってから自然に出てくるものです。
楽しいことは、言われなくても自然にするようになり、苦しいことは何度も
言われてやっとしぶしぶするようになります。
そんな苦しい学習をお子さんも保護者の方も、苦虫をかみつぶしたように続けているご家庭があまりに多いのです。
お子さんが小学校2年生のころまでは、保護者の方の言うことをよく聞きます。
それは、保護者の方の言うことを聞かなければ、食べていけないからです。
小さいころのお子さんにとっては、保護者の方の言うことが世界のほとんど全てですから、本能的に保護者の方の言うことを素直に聞くのです。
保護者の方の言っていることが正しいから聞くのではなく、お子さんが自活できないひ弱な存在だから聞くのです。
その時期に、お子さんが本当は嫌がっていることを無理にやらせつづけていると、やがてお子さんが自立する年齢になったとき、保護者の方に反発するようになります。
だから、たとえば、小学校低学年のときに注意されながら音読を続けていたお子さんは、学年が上がり、中学年や高学年になると、どんなに言っても保護者の方の前での音読をしないようになります。
逆に、低学年のときに、どんな下手な読み方をしても褒められていた子は、中学年や高学年になっても音読を嫌がりません。
だから、結局学年が上がるにつれて、何も注意していないのに、音読が上手になっていくのです。
よく、「もっと注意してください」と言われる保護者の方がいます。
注意する中には、注意すればすぐに直ることと、注意してもなかなか直らないことがあります。
注意してすぐに直ることは、直るだけの能力が伴っているということです。
たとえば、句読点の付け方などは、大人であればわずか数分で理解してできるようになります。
しかし、小学生は何度も言って、やっと理解できるような難しい学習内容です。
音読や読書や作文という学習は、その表面の学習活動の背後に、もっと大きな日
本語の生活習慣があります。
だから、学習の基本は、注意することではなく、いつも明るく褒めて、その一方で、毎日の音読と読書と、生活習慣を実りあるものにしていく対話を続けていきたいものです。
アルゴ・システムズ 代表 村元 謙二(文責) 京都市中京区柳水町71-1-103 TEL.075-221-5101