明治新政府の急激な近代化政策や経済の発展を支えたものの一つに、当時の日本の識字率の高さがよく上げられます。
それを支えた一要素に寺子屋があります。
その時代、世界的に見ても珍しい民主的なこの学習機関は、日本人の教育的アイデンティティーをよく示しているといわれます。
小学校低学年までの子供たちは、お父さんやお母さんを基準にして暮らしています。
だから、この時期は、親の言うことをよく聞きます。
しかし、小学3年生から、次第に親よりも友達を基準にすることが多くなり、その状態が中学2年生くらいまで続きます。中学3年生になると、自我が成長してくるので、友達という他人よりも自分自身の内面が基準になってきます。
したがって、小・中学生の学習を軌道に載せるためには、友達関係を生かしていく必要があります。
江戸時代の寺子屋で多くの子供たちが早朝から昼過ぎまで素読やなぞり書きのような単調な学習を続けられたのは、一緒に机を並べる多数の友達がいたからだといわれます。
つまり、一緒に同じことをする仲間がいると、退屈なことでも続けられるのです。
「見える学力見えない学力」を書いた岸本裕史さんが始めた家庭塾でも、運営がうまく行くコツは、やはり友達が数人集まるということでした。
ただし、その代わり、私語は厳禁という明確なルールがありました。
子供たちの集団学習に、先生や親という大人が必要な理由は、子供たちだけでは必ず最もお喋りな子に全体が引きずられるからです。
また、教育法制化運動の向山洋一さんの著書に、受験時代に経験した集団学習の効用の例が載っています。
向山さんは、受験生時代、友達の家に行って一緒に学習したそうですが、ただ一緒にいるというだけで、互いに別のことを黙々とやっていたそうです。
そして、いつも学習が終わって帰るときには、二人で囲碁や将棋をして短いおしゃべりを楽しんだということでした。
このような例を見ると、当塾でもそうですが、学習でも長時間続ける意欲は、同じことをしている誰かが一緒にいるというところから来ていることがわかります。
ところが、友達と一緒に学習するという環境が、個人ではなかなか用意できません。
岸本裕史さんが提唱したように、近所の家族どうしの持ち回りで家庭塾を開くというのが理想です。
しかし、実際は狭い住宅環境という問題や、少子化で近所に友達が少ないという問題などで、なかなか簡単に集まって学習するという仕組みは作れません。
そこで、ほとんどの家庭は、近くの学習塾に子供を通わせるようになります。
家で子供がひとりで学習するだけでは、すぐに飽きてくるからです。
しかし、学習塾の問題は、学習が他人に依存しがちだというところです。
自分のペースでできる自習を家庭で行えるようにし、その成果を学習塾で確認していくことができれば、より寺子屋に近い学習塾が成立することになるでしょう。
そういう意味では、今とかく話題に上る『反転授業』は形の上では現代版寺子屋ということができるかも知れません。
しかし、私は『反転授業』を行うつもりはありません。
なぜなら、私は自分の目や耳や手触りで生徒の学習状況と理解を確認しつつ、学習意識を把握しながら、授業を進めていきたいと思うからです。
学習とは、確かな形がなければ成果はでません。
しかし、人が行う作業なので形の前に気持ちの置き所がより重要になります。
いかに学ぶかよりも、どんな思いで学びかを促すことこそ、学力アップの基本です。
そして、これこそ一見非効率的にみえて実は大きな足跡の残したとされる寺子屋の神髄だと思うのです。
そんなことをつらつらと思いながら、新型肺炎感染拡大による学校休校期間、朝8時からお子様をお預かりしている現代版寺子屋開室している今日この頃です。