アルゴの中学受験日記

中学受験を通じて成績と連動する真の努力の形を伝えます

中学受験の現場

あえて、中学受験の負を問う

あえて、中学受験の負を問う

中学受験のプラス面は多くの方が深く把握するところでしょう。したがって、今回はある意味わかっていても、敢えて目を瞑りがちなそのマイナス面について、少し整理してみたいと思います。暴論・極論とのご批判もあるでしょうが、永年、中学受験の世界に身を置く者の繰り言とご容赦下さい。

第1のマイナス面は、競争が避けられないことです。自ら選んだ競争であれば、それはその子の人間性の成長に結びつきます。しかし、現在の受験体制下にある子供たちは、必ずしも自らそれを望んだのではなく、半ば強制的にその渦中にいるのだということを、いつも認識しておかなければならないでしょう。

第2は、学習の志向性が「学ぶ価値のあるものの学習」から「テストで差がつきやすいものの学習」へと必然的に変化していくことです。子供たちの学習姿勢が、入試科目にしぼった得点至上主義の狭い学習になり、この傾向は中学受験が終わっても大学受験の必要のない一貫校入学以降も続きます。即物的な学習の性向は大学での学究生活やその後の人生の力にはあまりなりえません。

第3は、受験勉強が、思考力を育てる学習から、知識の量を増やす学習になりやすいということです。塾や家庭教師によって受験の情報が完備されればされるほど、「考えさせる良問」も、翌年にはすぐに「解法の知識」となり、暗記問題に変わります。「考えること」この一番単純で、そして難しい学習スタイルを如何に子どもたちが負担なく実行できるかということは、常に考えるべきテーマでしょう。

最後に、大学受験以上に過酷と言われる学習環境の精神性への影響は、未だ細かく分析されていません。しかし、合格後の「燃え尽き症候群」は広く語られるところですし、中学入試よりその後の6年間の方がもっと大切であることは言うまでもありません。

以上のような中学受験の弊害は、すでに多くの方が指摘するところですが、その処方箋となると未だ…。しかし、中学受験がこれらの負の部分を内包していたとしても、あまりある利点も存在しています。要は如何なる術も御す者に帰すということなのかもしれません。

社会の求めるものも、これまで重視されてきた記憶力や与えられたものを素直に消化する真面目さから、意欲や創造性や豊かな人間性へと変わり始めています。また、個人の人生の目標も、「安定した生活」から「生きがいのある生活」へと変わりつつあるようです。この変化は入試問題の傾向にも大きく影響を与え始めています。

中学受験が持つマイナス面を直視することは、私たち中学受験に携わるものに、子供たちの学力のみならず人間性の成長をも託されていることを再認識させます。中学受験が再びブームと化している今こそ、私たちはこの点に思いを新たにしなければならないのです。

今日の受験体制が存在するのは、志望校に定員があるからです。志望校に定員があるのは、学校に人員的空間的制約があるからです。 しかし、コンピュータやインターネットなどの通信技術の発達によって、いま、定員という考え方そのものがなくなりつつあります。私たちは、誰でも、いつでも・どこでも・参加できる(学べる)社会を迎えようとしています。

中学受験のようなスタイルの学習は、今後も数学オリンピックのようなかたちで残るでしょう。しかし、学習の姿の大部分は、「好きなことを好きなところで好きなだけ学ぶ」という学習本来のものに、近い将来変っていくのではないでしょうか。

そんな時代を迎えたとき、アルゴの子どもたちが瞳を輝かせながら、嬉々として学習していることを望まずにはいられません。

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