「うちの子やる気がなくて」、「しっかり意欲を持って勉強に取り組めない」とお声をよく聞きます。
人間は、やる気になったときに大きく成長します。
だから、学習でも仕事でも、やる気、又は意欲というのがいちばん大事なのは事実です。
だからこそ、こんなお声が上がるのでしょう。
そこで、今回は、やる気や意欲を育てるためには、どうしたらよいかということを考えてみます。
ふつう、子供たちが学習というものに自覚を持ち、学習自体の面白さに目覚めるのは一般に高校生以降です。
それまでの義務教育の小中学校の学習は、基礎的な学力をつける準備のためのものですから、学習自体に知的な喜びを感じる面はあまりありません。
だから、小中学生は学習に熱中しないのが普通です。決して、おかしくはないのです。
翻って考えてみると、小中学生が熱中するのは遊びです。
ややもすると保護者の方からは禁止令が出るほどに熱中します。しかし、この遊びが実は意欲を育てているといわれています。
大人になってから仕事に熱中できる人は、その熱中力を、子供時代の遊びによって身につけているのです。
遊びの内容そのものは、虫捕りだったり鬼ごっこだったりと単純なものですが、そこで何かに熱中したという経験が大事なのです。
ただ、現代ではゲームという不必要に増殖していく遊びがありますからそこは気を付けなければいけません。
では、学習は熱中できないからしなくてもいいかというと、もちろんそういうことはありません。
準備のための学習は退屈で当然ですが、その退屈さに耐える力をつけることが重要なのです。
子供が大きくなり、将来、興味のあることを熱中してやるようになっても、その物事の中に退屈な作業は必ずあります。
子供のころに育てておく必要があるのは、熱中する力であるとともに、退屈さに耐える力(継続する力)なのです。
ところが、現代の社会では、子供たちに学習を退屈させないようにいろいろな工夫がほどこされています。
例えば、賞罰で刺激を与えたり、競争をさせたり、目先の変化で面白さを演出したり、タブレットやインターネットを使って興味を掻き立てたりと、学習に興味を持たせるさまざまな工夫がなされています。
だから、子供たちはかえって興味を持ったとしても刺激になれていくので、新しい刺激が必要となり、退屈さに耐える力が結局つかないことになるのです。
本来、熱中する力も、退屈さに耐える力も、家庭でつけるものです。
熱中する力をつけるためには、子供たちの興味や関心の所在をよく観察し、何かに熱中したときにそれを妨げないで見守る必要があります。
そのためには、ある程度子供たちの生活時間に余裕があることが大切です。
しかし、現実にはなかなか時間に余裕のある子供時代を過ごすことは近年難しくなりました。
退屈さに耐える力をつけるためには、毎日同じことを続ける習慣を子供のころからつけておくことです。
子供が自分の意志で毎日同じことを続けることができるようになると、自律心が育ち、自主的な学習環境の形成につながっていきます。
その自律心の成長への材料となるのが、塾からの宿題や毎日取り組む計算練習・漢字練習なのです。
アルゴでは、保護者の方が日常的には無理な子供たちの学習の管理を行い、熱中する力と退屈さに耐える力の成長を考日々の学習に取り組んでいます。
保護者の方には車の両輪をたとえに、学習能力と学習体力というお話をしますが、熱中する力と退屈さに耐える力は、この学習体力にあたる部分であり、学習能力と学習体力のバランスがうまく取れていないと、前に進まず同じところでクルクル回ることになりかねません。
雨の日も、風の日も、くたびれている日も、遊びたい日も、とりあえず決まったことを先に済ませるということを子供のころから習慣づけておくと、それが子供の自律心の土台となり、ひいては大きな学習の花を咲かせることつながっていきます。