アルゴの中学受験日記

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読書感想文の書き方①

読書感想文の書き方①

読書感想文というと、つい感想を書くことに主眼を置いてしまいがちです。ところが、感想や意見は、だれが書いてもあまり変化がなく、ある枠内に収まってしまいます。例えば、おいしいものを食べたときの感想を聞かれた場合、感想は、「おいしい」「すごくおいしい」「とってもおいしい」ぐらいに収まります。つまり、感想や意見には表現の変化をなかなか盛り込めないのです。

読書感想文の感想も同じです。単純に言えば、「おもしろい」か「つまらない」かが感想の究極の形です。 しかし、同じようにおもしろいと感じても、その感じ方は人によってさまざまなはずです。では、さまざまなところはどこかというと、自分の体験に照らし合わせて感じた部分と、自分のこれからの行動に結びつけて感じた部分です。そこで、良い感想文とは、自分のこれまでの体験や、自分のこれからの行動に結びつけて書く部分を増やすということになります。

夏休みは、幸い時間がたっぷりあります。「レッツゴー・サフィー」を読んで、盲導犬について調べれば生きた体験がどんどん増えていきます。盲導犬訓練書の見学などできたら素晴らしいでしょう。「生きるぼくら」を読んで、田舎暮らしやお米を作ることに共感心を持てば、新しい発見があるはずです。そうすれば、夏休みの最終日に1日で感想文を仕上げようと思うのではなく、じっくり調べてながら3・4日かけて毎日400字ずつ書くようにしていけば、負担はほとんどないどころか、夏休みの個人研究につながるかもしれません。

学校の先生方にお願いしたいことは、小学校低学年に読書感想文の宿題を出すことは、やめていただきたいということです。私は、低学年の感想文指導には何の教育的意義もないと考えます。

感想文が楽に書けるようになるのは、年齢的には小学5年生からです。小学1~4年生は、全体の構成を考えて書くという能力がまだ育っていませんから、大人が全体の方向づけをしなければ自分で本の流れに合わせて感想文の流れを考えていくという書き方はできません。また、小学1~4年生の場合、似た話がうまく見つかる場合と見つからない場合とでは、作品の出来に大きな差が出てきます。大人(親や先生)が近くにいて、「この次はこんなことを書いたらいいよ」とときどきアドバイスをしてあげなければまとまった作品を書くことはできません。

なぜ、学校がふだんの授業で感想文の指導をせずに、夏休みの宿題というかたちで感想文を書かせるのかというと、感想文は(特に低中学年の場合は)、一人ひとり別々のアドバイスをしなければならないからです。30人から40人を相手に、一斉指導でそういうアドバイスはできません。だから、学校は感想文の指導を行わなくなったのです。ならば、感想文の宿題を書かせる時間を、いっそ、読書に充てていただいた方が子供たちのためにずっとなります。

「なんでもいいから自分で好きな本を選んで、自分で好きなように書いてごらん」ということでは、感想文は書けません。小学生の場合は、大人がなんのアドバイスもせずに感想文を書かせるぐらいなら、感想文を書くことそのものをしない方がいいのです。単に字数を埋めるだけの感想文になんの学習効果も存在しません。

書くからには、じょうずな感想文を書いて、コンクールなどに入選したいとはだれもが思うことです。作品の出来具合の半分は、似た話などの題材の部分に支えられています。また、もう半分は、感想の部分の一般化の深まりに支えられています。ですから、感動のある似た話が連想できるような本を選び、感想の部分で大人の人が一般化の手助けをしてあげれば、じょうずな感想文が書けます。

しかし、こういうかたちで親や先生がアドバイスをすることは、子供たちにとってはあまりうれしいことではありません。また、親や先生に支えられてじょうずな感想文を書いても、教育的意義は少ないでしょう。したがって、感想文の目標はじょうずな作品を書くことではなく、ひとまとまりの本を読み、ひとまとまりの文章を書く練習をするということに置くべきです。

次回、実際の感想文の書き方を具体的に述べたいと思います

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