アルゴの中学受験日記

中学受験を通じて成績と連動する真の努力の形を伝えます

今思うこと

「やる気がある」ということ

「やる気がある」ということ

「どうしたらやる気を持たせることができますか」「どうしたらやる気のある学習態度が保てますか」等々、世の学習熱は『やる気』『やる気』『やる気』のオンパレード、でも一体『やる気』ってなんでしょう。「それはどこかに落ちてます?」「どこかに売ってます?」実際はどこにもないし、だれも見たことないのです。

なのに、学習場面に限らず実生活でよくお目に掛かる言葉です。「あの人はやる気のある人だ」、そんな抽象的な表現で子供達の学習姿勢を評価することに不安を感じませんか。ひとりの人の好評価が、べつの人ではそれほど高くないなんてことは世の中たくさんある話です。

確かに子供達それぞれ学習へ向かう姿勢の違いはありますが、その原因は本人たちの問題と言うよりも、私たちを含めた子供達を取り巻く環境の問題と考えべきです。人は必要を感じれば学び、必要とされれば応える、といいます。とすれば、貴方がやる気がないと捉えているそのお子さんは、まだ学習の必要性に気付いて、イヤ、気付かされていないのかも、はたまた私たちが学習の大切さを伝えられず応えていないだけかも…。

どちらにしても、保護者の方や私たちのように一人ひとりの可能性を信じる職業(学校の先生・塾講師など)の者だけでも、『やる気』などという使い古された言葉なのに、主観に頼った抽象的な表現を使うことをは止めませんか。こんな曖昧な評価(実際は評価でなく感想)をくだすことは、お子さんへを育てる本道から遠く離れた感想のみの世界にいるのだと早く気付くべきです。


『やる気』は『ヤル木』、種を蒔き苗を育て水をやり、添え木をして枝葉を剪定し下草を刈る。私たちは、『ヤル木』が日頃の丁寧なこれらの仕事からしか育たないことを、もう一度自戒すべきでしょう。思い新たにするべきでしょう。以後、「やる気のない」という表現で子どもたちの評価を私は行いません。

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