『百里を行く者は九十を半(なかば)とす』-「百里を行こうとする者は九十里を行ったとき、やっと半分来たと思うべきだ」という古い詩句は「戦国策-秦策・武王」を出典とし、秦王(後の始皇帝)の奢りをある人が注意する場面で引用されます。
あらゆる局面で人は達成感を味わいたいと考え、その思いが成功を為す原動力になっているのは事実です。しかし、ともすればその達成感による精神の高揚が奢りや慢心を生みます。このことは頭で理解していても、なかなか修正ができないものです。
自分自身を自分で常に客観的に観察できればいいのですが、それは難しいことです。そんな時、時の権力者・秦王をも畏れず諫言するこの「ある人」は得難い存在であり、私たちの人生においてもそのような人を一人でいいから得ることは、安寧に道を歩く道標となるに違いありません。貴方にはそんな方がいますか。このことの大切さはお子さんたちが小さい時から、たとえその必要性を理解できなくても、伝えていきたいものです。なぜなら、必ず人は慢心するからです。。
ましてや、中学受験において合格はゴールではなくスタートに過ぎません。このことも常々お子さんたちによく伝える必要があり、うまく伝わっているお子さんほど合格の確率が高くなるのは驚きです。何事につけ、最後まで気を抜かず完走すること、謙虚な姿勢を保つことは大事を為すための条件なのでしょう。
上の詩句にはこう続きます。『此れ末路の難を言う』-「何事も残り少しというところが最も困難で失敗も多いから、終わりが近づいても油断は禁物である」と。